台風2号の影響で
大和川の水位が以上に上昇しました。
その時のこの図を見かけました!
標高10メートルを流れる淀川と
標高18メートルを流れる大和川
が氾濫、決壊すると大阪市内は
水浸しになります。
家康が大阪城を攻めた時、淀川の堤を意図的に
決壊させ城の周りを水浸しにして
さながら水に浮かぶ城にして防衛した
ということがよくわかる図でした。
また都市の脆弱性も漢字ました。
仁徳天皇の御時に大川を掘削し
河内湖の水を排水し田を整備した
ことで民のかまどから煙が上がった
ことも想起しました。
阪大の待兼山キャンパスには古代に
生息していた5メートルのまちかねワニ
の全身骨格標本もあったことも想起しました。